ロシア語・キルギス語短期語学研修体験記

社会・国際学群社会学類4年 林 仁

1. 研修について

  • 名 称:・ロシア語・キルギス語短期語学研修 ・海外語学研修ロシア語B(筑波大学の科目名として) ・KRJCロシア語1カ月スキルアップコース(KRJC側の呼称として)
  • 期 間:2024年8月19日(月)~2024年9月13日(金)
  • 滞在先:ビシュケク(キルギスの首都)
  • 主な内容
    ・KNUに所属する講師によるロシア語クラス
    ・ キルギスの歴史・経済・産業等を理解するための講演
    ・現地家庭におけるホームステイ
    ・キルギス語クラス
    ・現地学生との交流
    ・ビシュケク市内の自由散策

2. キルギス共和国

キルギス共和国は、国土面積約20万平方キロメートル(日本のおよそ半分)、人口680万人の小国である。キルギス系民族が多数を占めつつも、ウズベク系やロシア系民族等も共生する多民族国家であり、キルギス語を国語、ロシア語を公用語としている。

キルギスを含む現在の中央アジアは、元来遊牧民族の土地であることから主権国家の枠組みに当てはめて歴史を概観するすることが適当かは議論の余地があろうが、キルギスは、1900年代前半にソ連の構成国となり、1991年のソ連崩壊に前後してキルギス共和国として独立したという歴史を有する。独立後、中央アジア諸国の中でいち早く民主化及び市場経済化を成し遂げ今日まで共和制を維持しているものの、議会選挙の結果を不服とする勢力等によってこれまで度々革命の類が試みられた。

主としてイスラム教スンニ派が信仰されており私のホームステイ先もムスリム家庭であった。ただし、どの程度厳格にシャリーアを遵守するかには地域差・個人差があるようで、キルギス滞在中もその濃淡を感じとることとなった。

3. プログラム参加に向けて

3-1. 参加の動機

私は、複雑化する国際関係のなかで平和的な秩序が維持されるためには、個々の主体が他者の文化的背景を所与のものとして理解することが重要であると考えている。自身は、その一部に西洋的価値観を受容した日本との文化的差異が、非西洋的文化を土台に成立する地域の市民生活において認められるかを直接把握したいとかねてから願っており、キルギスへの渡航はそれを実現する好機であった。

また、情報化が進んだ今日において海外へ渡航する意義の一つは、現地の人々との度重なる交流を通して意思疎通の困難性と歓びを体感する点にあると考えるところ、キルギスにおける日常生活の中で積極的に会話することで自身のロシア語能力を向上させるとともに、中央アジアの雄大な自然のなかで異文化への理解を増進させるべく、研修への参加を希望した。

(研修への参加を申し込む段階においては上記の通り大変仰々しい動機とともに申請したが、実際は、キルギスという未知の存在に対する単純な好奇心に因るところが大きい)

3-2. 参加にあたっての準備

第二外国語として履修していたロシア語を思い出そうと試みたが、2年間のブランクがあったことから記憶の掘り起こしは捗らなかった。結果として、キリル文字のアルファベットと入国審査を乗り切るためのロシア語の文章のみ暗記してキルギスへ赴いた(なお、入国審査は一言も発することなく通過できた)。他方、在キルギス日本大使館が過去から現在にかけて発出した文書やJICAが当地に赴く職員を対象に公開している文書等をインターネット上で閲覧することで、現地の治安や医療環境に係る情報、飲料水事情などを一定程度事前に収拾し、対策することができた。キルギスの文化などについてはあまり調べていない。その他、海外へ渡航するにあたって一般に必要とされる各種手続等を行った。

4. プログラム参加中について

4-1. 授業・生活の概要

平日の午前に3時間、午後に2時間のロシア語クラスが開講されるというスケジュールを基本に、他のアクティビティが設定されている日もあった。

ロシア語の授業は、ТРКИに近い形式のプレースメントテストを経て上位クラスと下位クラスに分かれ、自身は当然下位クラスである。下位クラスはCEFR A1に相当するレベルを到達目標としており、露英併記の教科書を用いつつ、アルファベットの発音に始まり動詞の変化形や日常会話表現などを扱った。

授業が開講されない日や、午前あるいは午後だけの日も設定されており、その際は他のプログラムが組まれていた。JICA事務所訪問やキルギスにおいて日本語を学んでいる学生との交流、現地学校への訪問などがそれにあたる。加えて、キルギス西部のイシク・クル湖へのツアーにも参加し、キルギスにおいてリゾート気分を堪能することができた。

授業とアクティビティのほかは、ホームステイ先の家族と過ごしたり、プログラムに参加した他の学生と交流したりする時間であった。基本的に放課後?は自由時間となっており、私の場合、ショッピングセンターを巡ったり、扉が外れていた付近のバスケコートを勝手に拝借し他の学生や現地の子どもとバスケットボールを楽しんだり、管理人であると思われる人にバスケコートから追い出されたりして過ごした。ホストファミリーと過ごす時間も楽しいのだが、やはり日本人学生同士、日本語でコミュニケーションを取る時間は必要であると痛感した。

4-2. 授業・生活で印象に残っている点

授業については、A1クラスを担当した先生の授業の明快さに感銘を覚えた。とりわけ、私たちが知らないロシア語の単語を、既知のロシア語のみを用いて説明したりジェスチャーを用いて理解させたりする能力が長けており、極力英語や翻訳機に頼らずに、ロシア語によってロシア語を学ぶ授業方針を堅持する姿勢も見て取れた。それゆえ、私たち学生も先生の一言一句を聞き漏らすまいと傾聴し、ロシア語を用いて脳を働かせようとする積極的な態度を維持することができたように思える。この点を踏まえ、ホームステイ先においても、安易に英語や翻訳に頼ることなく、わずかばかりの既知のロシア語を用いて自身の意図するところを伝達しようと試みた。上手く意思の疎通が履かれたときにはある種の感動を覚えたし、このような経験こそが、習得過程の言語する醍醐味であると感じた。

授業以外のアクティビティとして特に印象深かったのは、JICAキリギス事務所へ趣き、青年海外協力隊として活動されている方々に話を伺ったことである。特に、教師として勤務されている方が仰っていた「キルギスの学校は究極のインクルーシブ教育である」という話は示唆に富むものであった。現在、日本の学校教育が実現を目指している姿とは差異があるものの、個々の生徒に対するきめ細かやかな対応の必要性について検討するに際しては、参考にすべき点が大いにあるように思われる。

ホームステイ先は、父母と子ども4人の計6人家族で、そこに私を加え、7人でおよそ20日間を過ごすこととなった。当初は緊張していたが、ホストファザーから「自宅のようにリラックスしてほしい」との言葉を受け、自由に過ごさせていただいた。困難を強いて挙げるとすれば、私を含めた7人の大家族と、ユニットバスは相性が悪いという点であった。誰かがトイレかシャワーを使用している間は、他の家族はその両方を使えないこととなる。しかし、ホストファミリーと私の生活時間帯にズレがあったこともあり、次第に適切なシャワーのタイミングを掴むことができるようになった。

5. プログラム参加後の変化

秋学期にロシア語の授業を履修する予定である。より多くの語彙や表現を知っていれば、より楽しく濃密な時間を過ごせたであろうという後悔の念から、次回ロシア語圏へ赴くときに備えて少しでもロシア語能力を向上させたいと思うに至った。

加えて、中央アジア諸国の政治体制に係る授業も履修予定である。ホームステイ最終日の夜、ホストブラザー(17歳)から、キルギスの政治腐敗を改善するためにはどうすればよいかという議論を持ちかけられた。そこで権力分立の必要性を説いたが「大統領は自由に法を書き換え得る」とか「裁判所が法に従うとは限らない」など、日本ではおよそ認められないような前提条件を提示され、いわゆる「法の支配」が機能しない可能性を考慮する必要があるという驚きを覚えた。この経験から、他国・異文化の人々と交流するにあたっては、自国の政治経済体制や文化を当然視しない必要があると気付き、授業を履修することでキルギスをはじめとする中央アジア諸国政治体制を理解し、次の中央アジア渡航に備えたいと考えている。

ホストファミリーからはときどきWhatsApp経由で電話があり、ささやかながら交流が続いている。また、キルギスで知り合った筑波大学への留学生とも交流を図る機会に恵まれ、引き続きロシア語を学習するっモチベーションとなっている。