カザフスタン研修

 人文・文化学群人文学類3年 万代晴香

1. 渡航前のカザフスタンのイメージ

渡航以前にはカザフスタン共和国について知っていることはほとんどなかった。中央アジアについて大学等で専門的に学ばない限り、高校世界史などではほとんど触れられることがないためカザフスタンについての知識を得る機会は日本ではないに等しいといえる。シルクロードが通っていたこと、遊牧民族の国であること、ソ連の一部であったことのみを認識していた。カザフスタンの面積、人口、首都、あるいはムスリムが多数派の国であるといった最も基礎的な情報すらも知らなかった。ゆえに日本人にとって馴染みが薄く、ほとんど知らない国であるからこそ、研修という機会を逃したら今後訪れることはないだろうと思い参加を決めた。

2. カザフスタンと日本の違い

写真1 ラマダーン期間の         夕食会の フルーツ盛り

ホストファミリーと暮らすうちに日本人よりは宗教が生活に根付いていることに気がついた。これまで持っていたムスリムやイスラーム国家の知識とは異なり宗教実践に関してはあまり厳密ではない。女性のスカーフの着用や手足の露出が個人の自由に委ねられていたり、飲酒が禁止されていなかったり、1日5回の礼拝が強制されていなかったりなどである。一方で、絶対に豚肉を食べなかったり、ラマダーン期間の断食を実施していたりとイスラーム教の日常生活への影響が垣間見える部分も散見した。特に豚肉の摂食に関しては強い抵抗があるようで、「晴香は豚肉を食べるのか?」と多くのカザフ人に聞かれた。日本では牛肉、豚肉、鶏肉が主に食べられているが、カザフスタンのムスリムは徹底して豚肉を食べない。レストランでも豚肉を使用した料理は見られない。アジア料理店を訪れた際にも、餃子の餡を牛肉、鶏肉、サーモンと選べるにも関わらず豚肉が選択肢になかった。日本では、豚肉あるいは豚肉を含む合い挽き肉を使用することが通常であるため非常に印象深かった。他にも日本ならば豚肉で作られることが多い料理に他の動物の肉で使われていることが多々あった。断食については、実施は個人に委ねられているものの非常に重要視されていることは理解できた。ホストファミリーの家にムスリムが集まり共に豪勢な夕食を摂っている日もあった(写真1)。食事中、女性たちは皆スカーフを着用して頭を隠していた。伝統衣装を着用した男性もみられた。一方でカジュアルな装いで参加する人もいた。イスラーム教の宗教的実践は個人に委ねられている部分が多いものの、信教を尋ねられて返答に困る日本人よりは確実に宗教と生活が結び付いているように感じられた。

上記とも関連するが、カザフ人には多民族国家であるという強い意識がみられた。大学の中、町中で様々な容貌の人がみられる。中央アジア系、ヨーロッパ系、東アジア系、インド系など、見た目からして様々な民族的背景を持つ人々がカザフスタンには混在している。日本には「日本人」が圧倒的な多数派であるため、異なる民族的背景を持つ人はその見た目から容易に判別されることが多い。したがって、町中で「外国人」の見た目の人に日本語で話しかけることなどほとんどないように思われる。しかし、カザフスタンには日本人のような見た目の人も多くいる。私自身もカザフ人に間違えられバスの中や大学でカザフ語やロシア語で話しかけらたことが何度もある。相手は私が言葉が分からず困惑した様子を見て初めて外国人であることに気がつくのである。日本ではあまり起こり得ないことのように思われ、大変新鮮であった。多民族の混在が当たり前であるカザフスタンでは民族の多様性や独自性が尊重されているように思われる。地域研究の授業やカザフスタン中央博物館の展示、ホストファミリーとの会話の中でも色々な民族がいることが当然であって、それぞれが共に暮らしていくことも必然なのである。ムスリムが多数派の国であるにも関わらず、中央モスクからさほど離れていない位置にゼンコフ正教会が所在しており、ただの観光地でなく教会として機能している(写真2・3)。ロシアとの歴史的な関係が影響しているのだろうが、カザフスタンの多民族の共存を象徴しているように思われる。これまでは、多民族国家といえばアメリカやカナダのイメージが強かった。カザフスタンは間違いなく多民族国家であるが、アメリカやカナダとは成り立ちが異なる。カザフ人は遊牧民であり、歴史的にも多くの民族が往生してきた場所である。多くの民族がカザフスタンの土地を踏むことは歴史的にも不自然ではないといえるかもしれない。

写真2 中央モスク
写真3 ゼンコフ正教会

3. アルファラビ・カザフ国立大学での学び

写真4 アルファラビ・          カザフ国立大学の教室

今回はロシア語・カザフ語研修ということで、アルファラビ・カザフ国立大学でロシア語とカザフ語の授業とCiC特別講義を受けた。1ヶ月という短期間であったため、既にアルファラビ・カザフ国立大学でロシア語・カザフ語を学び始めている学生たちのグループに参加させてもらった。参加したグループには、トルコ人1人と他は全て中国人であった。他のグループに参加した日本人学生に聞くと、中国人が1番多いがアメリカ人やフィリピン人と学ぶグループもあったようである。年齢は私とほとんど変わらない人から、一度社会人を経験した30代の既婚者まで様々であった。彼らと気楽にコミュニケーションをとれる言語がなかったために、どのような目的でカザフスタンに来てロシア語とカザフ語を学んでいるのかについて個々人に聞く機会はほとんどなかった。また、それぞれの文化の違いについても交換できなかった。授業に対する姿勢から、若い人よりもある程度経験を積んでいる学生のほうが熱心に勉強しているように感じられた。どちらにせよ、母語の通じない国で生活して異なる言葉を学ぶということは容易なことではない。彼らと授業以外でもコミュニケーションがとることができていたら、もっと実りある研修になったであろうとやや後悔している。授業は全てロシア語で行われるため、リスニング能力はかなり伸びるだろう。カザフ人は日常生活においてカザフ語とロシア語を混ぜて使用しているため、リスニング能力を伸ばすにはロシア語の授業が最適な機会であったといえる。しかし、私はロシア語未履修のためそもそも授業についていくのがなかなか困難であった。文法の説明などはロシア語での説明となると理解しにくい部分も多いため、日本語で書かれたロシア語のテキストを活用していた。カザフ語に関しては祝日やCiC特別講義との関係でほとんど受講できなかったが、初級レベルからのスタートであった。日常生活で使用するには個人で努力する必要があるだろう。

CiC特別講義に関しては、カザフスタンの歴史、文化、地理、政治的立場を知ることができてとても有意義であった。日本語または英語での授業であったため、理解も容易であった。先生方もディスカッションやQ&Aの機会を積極的に設けていたため、授業内容も非常に充実していた。先生方はアメリカ英語でロシア語訛りもほとんどなく、英語ネイティブほど早口でもないため、日本人には聞き取りやすかった。ロシア語・カザフ語の授業は語学がメインのため、カザフスタンの歴史や文化について学ぶ機会は限られていた。せっかくカザフスタンで学習するならば、このようにカザフスタン自体についても知る機会があるとよいと思う。

4. 日本語学習者との交流

写真5 チャリン・キャニオン

滞在中には日本語学習者のカザフ人に会う機会が多くあった。アルファラビ・カザフ国立大学の日本語専攻の学生達には非常に多くの場面で助けてもらった。チャリン・キャニオン(写真5)やタンバル遺跡へのフィールドトリップに同行してもらい、日本語で喋りかけてくれた。日本語を流暢に話す学生が多く、日本人学生と話す時と同じように会話を楽しむことができた。他にも、自発的にロシア語未履修者のために補習を開催してくれた学生や授業後に色々な場所に連れて行ってくれた学生もいた。通常の授業では理解できないことが多かったので、補習は非常にありがたかった。ロシア語が分からなくて困った時も何度も助けてもらった。踊りや楽器などカザフスタンの文化も披露してもらい、とても有意義であった。

写真6 アルマトイ動物園

ナルホーズ大学で開催された日本語弁論大会では、他の日本語学習者にも出会うことができた。内容も素晴らしく正確な日本語のスピーチにも感動したし、レクリエーションでのカザフ人による日本の歌や踊りのパフォーマンスもとても面白かった。その後のレセプションでもカザフの料理を楽しみながら、日本語学習者と日本語と英語を交えて楽しく会話することができた。多くの人とコミュニケーションをとることができたため、非常に有意義な日になった。特に日本語ペラペラのカザフ人日本語教師ととても流暢に話す高校2年生とは一緒に動物園に行くことになり、翌日も楽しくコミュニケーションをとることができた(写真6)。日本語や日本そのものに興味を持ってくれる人に出会えるのは非常に嬉しいことであり、彼らが来日する機会があれば再会して日本の色々な場所へ案内したいと思った。大学の授業だけでなく、研修中にこういった機会にめぐりあえたことは幸運であったと思う。

5. おわりに

外国に1ヶ月以上も滞在したことは人生で初めての経験であった。特に言葉の通じないよく知らない国で過ごすことは大変貴重な経験であったといえる。異文化を日常的に体験して、カザフスタンと日本との違いについて考えることができ、視野を広げることができたと思う。これらの経験を糧に今後の生活においても外国人と積極的に交流して多文化を意識して生活していきたいと思う。