2025年7月30日(水)、第14回Borderless Onsite Meetingを開催しました。
ウズベキスタンにおける建築とアイデンティティの深い関係に迫る報告会が、「石の沈黙の言語:建築を通じてたどるウズベキスタンのアイデンティティ」と題して開催されました。発表を行ったのは、NipCAフェローのルフソラさんとローラさんです。発表では、古代の城塞都市からティムール朝の建築の傑作、さらにはソ連時代の記念碑的建築に至るまで、物質としての建築物が、統治、精神性、イデオロギー、そして文化の継承の道具としてどのように機能してきたかが示されました。建築遺産は単なる視覚的装飾ではなく、文明の転換を記録する「生きた記録」として紹介されました。
ウズベキスタンの建築環境の基盤は、イスラム以前の時代に築かれました。古代ホラズムのオアシス国家において、建築は豊かさと外敵の脅威という二つの条件に応える形で発展しました。トプラク・カラやジャンバス・カラといった遺跡には、灌漑によってもたらされた肥沃な土地と、遊牧民の襲撃という危機に対応する空間的論理が見て取れます。一方、南部テルメズ地方では、ファヤズ・テペに代表される仏教建築群が発展し、僧院、中庭、ストゥーパを中心とした静寂と内省の文化を体現していました。
8世紀以降、イスラムの到来によって建築空間の意味と目的は大きく変容します。カラハン朝やホラズム・シャー朝の時代には、モスク、マドラサ、霊廟、ミナレットといった新たな建築様式が登場しました。それらは単なる宗教施設ではなく、共同体の価値観を都市生活に組み込む文化的な礎となりました。幾何学模様、書道、光の表現は、装飾ではなく精神的省察の手段として用いられました。
14~15世紀のティムール朝時代には、建築が宇宙的な規模で展開され、王朝の威信と形而上的な世界観が建築によって表現されました。シェル・ドル・マドラサやグーリ・アミール廟などは、対称性、色彩、書道芸術を駆使し、宗教的権威と世俗的権力の調和を体現しました。トルコ石のタイルやムカルナスのドーム、象徴的な幾何学模様の多用は、美的完成のみならず、天と地を建築を通じてつなごうとする神学的理念を示すものでした。
19世紀にはロシア帝国の拡大により、西欧的な建築様式が導入されます。鉄道、銀行、支配階級の邸宅など、新たな建築類型が現れました。ロマノフ公宮殿や帝国国立銀行タシケント支店はその代表例であり、新古典主義のファサードや碁盤目状の都市設計がイスラム都市景観に重ねられました。これらの建築は地域のアイデンティティを消し去るのではなく、新たな建築語彙を加えるかたちで、支配と伝統の視覚的交渉を表しています。
ソ連時代には、建築はイデオロギーの投影手段として用いられました。画一的で機能重視の集合住宅や国家施設が次々と建設されましたが、ウズベキスタン固有の表現が完全に失われることはありませんでした。捕虜となった日本人によって部分的に建設されたナヴォイ劇場や、装飾性豊かな駅が並ぶタシケント地下鉄には、社会主義モダニズムの中にウズベクの象徴性が組み込まれています。なかでも国立歴史博物館の建築では、東洋的宇宙観における永遠の象徴「立方体」や抽象幾何学が用いられ、伝統的意味と現代建築言語の融合が試みられました。
現代ウズベキスタンにおいても、建築空間は国際的な記憶と人間のつながりを伝えています。ヤンギアバドでは、第二次世界大戦後の復興に貢献した日本人捕虜の記憶を今に伝える小さな博物館があり、静かな強さと人間の連帯を訪問者に想起させます。また、陶器で有名なリシタンでは、地元の職人と来訪した日本人実業家との友情から日本語学校が設立されました。こうしたささやかな建築群は、国家の枠を超えた記憶と共感を体現する「記憶の建築」として息づいています。