カザフスタン医療視察研修全体反省
医学群医学類3年 結城舞
2024年3月10日から2024年3月19日にかけて、大学のプログラムでカザフスタンに滞在させていただきました。滞在中はカザフスタンの大学の医学部、看護学部、公衆衛生学部の見学や学生との交流に加え、現地病院や感染症対策センター、児童リハビリセンターなどを見学させていただきました。
私が今回の滞在で印象に残り、学びとなった点は、大きく分けて3点あります。
まず1点目は、現地の文化を存分に味わうことができた点です。今回の研修では、アルマトイ・アスタナの2都市を訪れました。2都市それぞれの特徴については、事前研修や、行きの飛行機の中などで一生懸命学習しました。しかしながら、それを具体的にイメージするのは難しく、文章で読んでもあまり面白いと思えませんでした。しかし、両都市に実際に足を運び、学習した内容をリアルに目にしたとき、大きな感動を覚えました。
例えば、事前学習で、「アルマトイはカザフ語でりんごを指し、ソ連時代にはリンゴの名産地であった場所であった」ということを学びました。実際に、街では至る所でりんごをかたどったモニュメントや看板、マークを見つけました。事前に学んでおいたお陰で、りんごに関するものを見つけるたびに心が惹かれました(図1)。
また、アスタナについて、事前学習の中で非常に興味深かった点は歴史でした。その歴史は、アルマトイよりも少し早く、1832年に築かれた要塞に始まります。ユーラシア大陸北部と南部のシルクロードを結ぶ中継地点でしたが、要塞建設により、通商・交易路の安全が確保されました。滞在4日目に訪れた、アルファラビ・カザフ国立大学の図書館附属の博物館では、その様子を展示で確認することができ、大変興味深かったです。特に興味深かったのは、都市名が何度も変化している点でした。最初のアクモリンスクという名前から、まず、「処女地の町」を意味するツェリノグラードと改名されます。1991年の独立後、「聖地」を意味するアクモラに改名され、遷都翌年の1998年には、「首都」を意味するアスタナと再度改名されました。2019年には、初代大統領であるヌルスルタン・ナザルバエフ初代大統領に因んで、その名前はヌルスルタンとなります。この大統領は、ソ連末期からカザフスタンの中心人物であり、独立後、建国の父として振舞った人物です。複雑な国際環境、連邦崩壊により危機に瀕した経済状況、カザフ人とロシア人が拮抗する民族構成の、非常に難しい舵取りを迫られる状況下で、ナザルバエフ政権は安定した国家運営を行いました。大統領が、自身の名前が首都名になるほどの大きな力を持っていたことも理解できます。しかしながら、ナザルバエフは賄賂を含む非公式なネットワークも利用することで、自らに忠実なエリートを集め、さらに圧倒的な力を持つようになります。それに反感を持った市民が反政府デモを起こし、その影響で2022年1月にナザルバエフが失脚して政界から退くと、再度アスタナという名称が用いられるようになりました。今でも、大学や空港の名称に彼の名前が残っていること(図2)、またアスタナを代表する観光地であり都市のシンボルであるバイテレク・タワーに彼の名前が残っていることからも、彼の絶大な影響力を実感することができます。
例に挙げたように、カザフスタンでは人々が名前を非常に大切にしているように感じられました。道路(通り)の名称も、大学の名称も、人物の名前に因んだものが多く、その名称に着目することで街や、それがつくられた歴史を学ぶことが出来たのが楽しかったです。
このように、自分の行ったことのない街について事前に深く学び、そして実際にその場所を訪れるという経験をしたのは初めてでしたが、その楽しさを知ることができました。これからまた旅に出る機会は何度もあると思いますが、今回のように事前学習を大切にすることによって、現地での体験をより実りのあるものにできるのではないかと期待しています。
また、今回2つの都市を訪れてその比較を行うことで、その違いを知ることができたのが非常に嬉しかったです。事前学習では知り得なかったのですが、アルマトイ滞在中に、カザフスタンの2つの都市を日本に準えると、アスタナは東京、アルマトイは大阪のようだと教えていただきました。実際に2都市で過ごしてみると、それを実感することができました。アスタナには高層ビルやユニークな構造で新しい建物が並びます。一方でアルマトイには、比較的低く古い建物や、ソビエトの建築様式をとる建物が多く、さらにそれが密集していました。また、アスタナをはじめ北側出身者には静かでクールな人が多いですが、アルマトイをはじめ南側出身者には話すことが好きで賑やかな人が多いそうです。現地を案内してくれた、2人のカザフ人と一緒に時間を過ごす中で、2人がそれぞれの特徴を持っているのを感じて非常に面白かったです。
文化と一口に言っても、このように人の雰囲気、歴史だけでなく、食、音楽、人々の生活など、幅広く理解を深めることができて嬉しいです。特に、食事については、現地でカザフ人の方々にいろいろな豆知識や、現地にしかない貴重な料理などを教えていただいて、実際にそれを試してみるのが楽しかったです(図3)。こういった知識を得ることを通して、カザフスタンへの愛を深めることができたと思います。
2つ目は、英語を使うことに対するハードルが非常に下がった点です。
高校卒業以降、大学でも英語の授業は履修していました。しかし、英語を使用する機会がなかったため必要に迫られておらず、高校生の時ほど熱心には勉強出来ていませんでした。そのせいで、自身の能力に対する自信はかなり下がっていました。しかし、今回渡航して久しぶりに英語を話す中で、再度その楽しさや重要性に気付かされました。日が経つにつれ、だんだんと英語を聞くことにも、話すことにも慣れ、深く考えすぎずに、とにかく口を動かすことが、話を引き出すために重要だということを学びました。
さらに、コミュニケーション能力も高めることができたと思います。カザフスタンという、普段英語以外の言語を使っている人々が暮らす土地で研修を行ったことは、久しぶりに英語を使うのに非常に好都合でした。カザフスタンの人々も、ネイティブではないので非常にゆっくりと話してくれます。間違った英語でも意味を汲み取ってくれ、翻訳ツールを使うことも躊躇いません。そのお陰で、自信を失うことなく積極的にコミュニケーションを取ることができたと思います。言葉が通じなくとも、非言語的な方法で自分の意思を伝える能力が上がり、完璧な英語を目指して自信をなくし、話さなくなってしまうのは非常に勿体無いことだと考えるようになりました。
一方で、伝えたいことがあるのに言葉が出てこなかったり、同じくネイティブではないカザフスタンの人々が流暢な英語を話しているのを見たり、上手く伝わらなかったりするのは非常に悔しいものでした。アスタナ滞在1日目にはナザルバエフ大学を訪問しましたが、そこでは授業が全て英語で行われているそうです。学生も教師も堂々と英語を使っており、その姿に憧れました。それらの理由から、英会話を学ぶモチベーションが高まりました。少しの時間でも定期的に英語を話す環境に身を置くことが、能力の維持に重要だと感じました。
最後の3点目は、日本の医療・医学教育についての考えが変わった点です。
今回の研修の中で、現在のカザフスタンでは、看護師が初診患者に問診を行うことが多いと知りました。さらに、看護師は、医師なしでも簡単な診断や治療を行うことができるそうです。このように、カザフスタンでは看護師が非常に高い地位についていることに驚かされました。アルマトイ滞在3日目に訪れた病院では、案内してくれた病院の職員のほとんどが看護師であり、また、アルマトイ滞在5日目に訪れた看護学校では、看護師を目指す生徒たちが様々なマネキン、模型、針など実際に医療現場で用いられている医療器具を使って、実践的な実習を行なっている様子を見ることができました。
日本では未だ、看護師の役割は医師のサポートであるという認識が強いと感じます。日本でも診療看護師など、より高度な処置を行える看護師を規定する制度はありますが、実際その知名度は低いと思っています。私は将来、総合診療医を目指しています。カザフスタンにも総合診療医は存在し、その役割の重要性が叫ばれ、人数・報酬ともに増加する傾向にあるそうです。この状況は日本と似ている部分でした。しかし、カザフスタンでは、上記の通り、日本でいう総合診療医の役割の一部を看護師が担っています。これは人員削減・医師偏在などの問題の解決のために非常に有用なことだと思いました。日本でも、看護師の地位向上を目指すべきだと思います。特に、日本はこれから少子高齢化・地方の過疎化・医療費の増大が進むとされています。これらの問題に対応するには、医療の在り方が、病気を抱える患者さんを病院で治療し、健康になってから地域に戻ってもらうという形ではなく、病気を抱えていても、それとうまく付き合いながら地域社会で自分の役割を全うできるよう手助けをするという形に変化することが必要なのではないかと考えます。その考えに則り、総合的な診療の重要性を認識するとともに、それが満足して行われる環境を整えていくべきではないでしょうか。
また、医療関係者を目指す学生に対する教育は、非常に手厚く実践的で羨ましかったです(図4)。座学やマネキンなどを用いた学校での学習、病院での実習を交互に行うというカリキュラムが組まれているそうです。自分自身含め、日本の医学生は、自分が医学を学んでいること、医師になることに自信を持っておらず、さらには、自分の目指す専門分野を意識せずに学んでいる人が多いように感じます。一方でカザフスタンの学生は、自身が医学を学んでいることに誇りを持っているように見えました。そして自分が目指す専門分野を堂々と語っていました。その姿は、元々の国民性もあるのでしょうが、病院で実際に働く環境をイメージできる、より実践的な実習に裏付けられたものなのではないかと思いました。
日本の医学教育は、特に低学年の間、座学が大きな割合を占めています。そして、高学年になっていきなり、病院で患者を前にした実習が始まり、それが中心となります。このカリキュラムの組み方では、座学から将来の働き方を実際にイメージできず、モチベーションを失ったり、突然医療現場に出されて自信をなくしたりしてしまう生徒がいても仕方ないのではないでしょうか。
この問題意識は、今回カザフスタンを訪問し、実際に教育の現場を見る体験をしないと得られなかったと思います。大きく制度を変えることは難しくても、まずは自分自身が、置かれた環境に満足せず、今回羨んだような学習を行えるよう、自分から積極的に学べるチャンスをつかみたいと思いました。
今回の訪問で、カザフスタンに対する理解、英語に対する姿勢、医療現場・医学教育に対する認識の3点が大きく変化しました。今回のように海外での実習を行うことの意義は、強制的に自分が普段足を踏み込まないような環境に置かれることで、様々な観点で問題意識が生まれることだと思いました。今回の訪問の中で考えたことを繰り返し振り返り、自分の将来に活かしたいです。また、カザフスタンの文化に定期的に触れて、今回抱いた愛着を持ち続けていたいと思います。