研修報告

社会・国際学群社会学類1年 𠮷村桃子

1. 研修参加の動機について

私はこの研修に二つの目的をもって参加した。

一つ目の目的はロシア語の上達である。大学入学後、私は第二外国語としてロシア語の学習を始めた。一年間の学習の成果を測るため、また、日ごろの学習のモチベーションのためにこの研修に参加することを決めていた。また、大学生活の中で留学生と交流する機会が増えた。その際に、留学生が日本語で話しかけてくれることが嬉しく、よりたくさんのことを共有したいと思えた。日本にいるからと言って歩み寄ってもらうばかりでなく、私もロシア語・カザフ語を身に着けて交流の輪を広げていきたいと考えている。

二つ目の目的はカザフスタンの社会・文化への理解を深めることである。日本での留学生との交流でも特に、留学生のチューター業務やグローバルヴィレッジでの生活におけるカザフスタン人学生との交流は私にとって良い刺激であり、留学を強く志すきっかけとなった。彼女たちと「異文化」を持つ者同士としてではなく友人として多くの時間を共有した。カザフスタンという国に興味を持つようになっただけでなく、日々の生活の中で意見交換をしたり助け合ったりすることで自然と価値観や文化の違いに気が付くことができた。自分の視点から見た違いを感じただけでなく、彼らの視点に立って物事をとらえられたという経験ができたように思う。身近な「人」を介して文化を体験することで得られる理解の深さを実感し、このような経験をもっと積みたいと考えた。今回の研修を通して社会に入り込み、自分とは異なる文化への理解を深めたかった。この研修は、ホームステイであり、現地の大学で学ぶため大学生と交流することもできる。これらの理由から、本研修への参加を希望した。

 

2. カザフスタン共和国についての考察

カザフスタンで現地の方々と関わる中で印象に残っているのは彼らのもてなしの精神である。私はこの精神性を食事の場で特に強く感じた。はじめは、私たちが日本からのゲストであるから歓迎の意を示すため多くの食べ物を用意してくれているのだと考えていた。だが、数日たっても、数週間たっても、最後まで変わらず様々な食べ物を用意してくれた。日常の食事の場では、お皿にたくさん料理を盛ってくれ、空になればすぐにお替りが欲しいか尋ねてくれる。お替りを断っても嫌な顔をする訳ではないが、お替りをお願いすると快く、もはや喜んで料理をよそってくれるのが普通であった。食事の後に飲むお茶についてはお替りの押しがより強い。お茶は頼み続けたら永遠に出てくるのではないか、と思うほどだ。お茶を飲む文化は興味深いものであったので後述する。トイと呼ばれるパーティーの場ではなおさらゲストに対するもてなしが大きい。私はこの研修中にパーティーに三回参加した。どのパーティーも自分たちで食べ物を用意し、集まる形式のものであった。長テーブルがいっぱいになるほどのたくさんの料理を大家族で囲む。叔母や叔父、いとこ等々皆が集まる。基本的に近くに住んでいる親戚であれば来る、という塩梅である。親戚が一堂に会するにしても人数に対して多い量を用意するのだ。主催者からの「食べる?取ろうか?」といった声かけも何度も見受けられた。食べたいものを食べたいだけ食べる、そして食べてもらいたい空間がそこにはあるのだ。どれほどおいしくても、たくさんの料理は食べきれず残る。その際には残った料理をゲストに持って帰ってもらう。これはサルカットという慣習である。お土産付きのパーティーというわけだ。一度、この慣習を知らずお土産の持ち帰りを「遠慮」したことがあった。その際にカザフ人に驚きと困惑の表情を向けられた。「パーティーに招いてもらって尚、お土産までお世話してもらうのは申し訳ない」と、日本の感覚に則り断りを入れたわけだが、カザフスタンの人にとってみれば「非常識」な行動なのかもしれない。自分の常識はやはり日本式のものであるなと感じた。文化の違いは「遠慮」という考え方の違いももたらすのかと実感することができた。日本の遠慮は他国では遠慮にならず、普遍的な価値観ではないと実感する良い経験となった。

ホストファミリーの親戚の誕生日会の様子。たくさんの食べ物が並ぶ。

次に、カザフスタンでは必ず目の当たりにするчай(お茶)を飲む文化はカザフスタンを語る上で欠かせないものだと感じた。カザフスタンでの一日にはчайがあふれている。朝ごはんにもчай、授業でもчай、お昼にもみんなでчай、夜ご飯でも団らんにчайである。чайを提供する際にも最大限のもてなしの精神を発揮する。アスタナで訪れた友人のご両親に教えていただいたчайをゲストに出すときのポイントは二つある。一つ目は、コップにчайはなみなみ注がないことである。コップいっぱいに注ぐと、ゲストに早く帰るようにと暗に伝えることになるそうだ。二つ目は、熱いчайを維持し続けることだ。カザフ人は熱いお茶を好む。アスタナに訪れた際には、熱い状態のまま飲めるように、と飲み切る前に少しずつお茶を注ぎ足していただいた。アルマトイのホストファミリー先でも、お茶のお替りを作るときはやかんで温め直してくれていた。最高の状態で出されるчайではお替りが繰り返される。ホストファミリー先での夕食後のчайは平均二回程度であった。чайを飲みながら過ごす時間はとても素晴らしいものである。私が経験したчайでも、特に長いものは食事の後の時間に飲むものである。чайを飲みながら、今日あったことや、日本とカザフスタンの違いや共通点などをホストファミリーとよく話していた。чайはカザフスタンでの団らんに必要不可欠である。ある時、カザフ人の友人と食事をする機会があった。食後に、満腹なのでчайは要らないと伝えたら、「今、会話しているから必要でしょ?」と言われたことがあった。чайがあるところに団らんがあり、団らんがあるところにчайがある。чайと団らんにはそんな表裏一体の関係にあると実感した。家族や友人との時間を大切にするカザフ人にとって、чайを飲む時間とчайはとても重要である。

牛乳入りのчай。クッキーやチョコレートなどのお菓子が一緒に用意される。

3. 語学研修に参加する前後での自己変化についての分析

カザフスタンでの研修に参加したことで得た自分の最大の変化は、「とりあえず話してみる」を実践できるようになったことである。拙くとも、自分の知っている言葉を最大限に活用してコミュニケーションを取ろうとすることを心掛けた一か月となった。私は、今年の4月からロシア語を勉強してきたが、単語も文法もあまり身についていないまま今回の研修に臨んだ。このような状態で自分の大きな助けになったのが、気持ちを伝えたいという姿勢である。この姿勢はとても重要であった。言葉は相手の存在が前提であるため、いくら語彙数があっても、文法が完璧でも、相手に伝える姿勢を持って話さなければ何も伝わらない。気持ちが相手に向いていなければ相手は受け取ってくれないのだ。反対に、伝えたいという気持ちが届けば、相手はこちらの気持ちを受け取ろうとしてくれる。カザフスタンでの生活を通して「伝えようとする姿勢」の重要性を強く実感した。自分から発信するだけではなく、それを受けた相手の反応や、相手の表情や口調を見ることなど、言語的に障害があるからこそいつもより非言語的な部分に注目してコミュニケーションを取ることが多かった。この経験から、言語運用能力とコミュニケーションの能力は区別してとらえるべきだと考えた。言語の障壁なく生活することができる日本では、コミュニケーションについてこのように考えることは無かったため、これは自分自身にとってとても良い気づきとなった。言語はコミュニケーションのための道具であるから、持っているだけでは価値がない。いくら自分の道具が悪かろうとも、使い方次第でコミュニケーションは可能なのだ。この研修の中でも特に、ホームステイ先での生活がこのような進歩と発見を得る糧となったと考える。

また、「とりあえず話してみる」を実践できるようになったことで語学力も向上した。ホームステイ先では、日本語はもちろん、英語もほとんど通じず、ロシア語とカザフ語のみを使って生活することが求められた。同じホームステイ先のもう一人の先輩と協力して、必死にコミュニケーションを取る日々を経験した。はじめは、分からない言葉しか無く、何を聞くにもGoogle翻訳を使っていた。だが、彼らの日々の生活に馴染んでいこうとすることによってこの課題は解決されていった。スマホを片手に会話をすることは不自然であるし、ホストファミリーの手を煩わせてしまう。早くこの状態から抜け出そうとあがくことで徐々に使える単語が増えていった。また、授業では先生の話が100%理解できなくても知っている言葉や言い回しを聞き取ることで授業内容について行けるように頑張り、分からなくても分かろうとする忍耐力がついた。言葉の運用の段階には言葉を「知る」、その次にはその言葉を使って「伝わる」があると考える。生活の中でこのサイクルを繰り返すことができたのは、ロシア語の能力の向上に大きくつながった。伝わった単語は「伝わった」という場面と達成感とともに覚えることができるし、次の機会にも使うことができる。ホームステイ先では「今日は何をしたの?」など、毎日同じ形の会話が繰り返される。まず会話の形を知り、覚える。次に、日常に合わせて内容を変化させる。これを繰り返すことで、伝わったという達成感を得ると同時に新たな語彙が身に付き、運用力が高まっていったと思う。このような会話のサイクルごとにフィードバックを行えたことで語学力が高まった。

また、人とのコミュニケーションに関連して、ホームステイ先での日本人の先輩との生活経験から、曖昧にせず伝え合うことの重要性を再認識した。私は同じホームステイ先の先輩と意見の相違で度々対立することがあった。そこでお互いの意見とそれを裏付ける考えまで話し合い、分かりあうという経験をした。同じホームステイ先なので足並みを揃えることが必要な場面が多かった。日本にいる時は親しかったわけではなくお互いを知らなかったため、言葉でしっかり伝えあうことがより重要だった。私たちは価値観や意見の相違で対立したが、それを乗り越えたことでより仲を深めることができた。いつもの生活では人との対立を避けがちだからこそ良い経験になった。対立を乗り越えた後は思っていることを率直に伝えあえるようになった。人は自分と考えていることが違う。何も言わなければ何を考えているかはわからない。違うのは当たり前、分かり合えない部分があるのも当たり前、という前提を理解し合っているからこそ築ける関係性になることができた。ここは同じ、この部分は違う、そういう考え方もあるのか、と自分の考えと照らし合わせたり見直したりできるようになったのは私にとって大きな成長である。

加えて、このプログラムへの参加は今後の大学生活を考える良いきっかけとなった。様々な人と出会ったことで世界の広さを感じることができ、また、自分の世界の閉鎖性を感じたからである。今回の研修で出会った日本人は、ロシア語を学んでいる理由やこの研修に参加した目的、普段していることも皆違う。何を大切にしているか、何を考えているかも全く違った。カザフ人は更に、文化的背景や住む社会も違うので私にとってはもっと新鮮な人たちだった。そのような人たちと出会って、日頃は受けないような刺激を受けた。人や文化の違いを知ることは純粋に面白く、もっとたくさんの人と知り合いたいと強く感じた。いろいろな世界を見るということへの意欲が一層高まった。さらに、日本でもたくさんの価値観を知ることができると気づくことができた。普段の大学生活では、サークルや学類の仲間と過ごすことが多い。そこに集まる人たちは自分と同じような趣味趣向を持っているし、必然的に友人も自分と同じような人になる。そのような日常を通して形成される自分の価値観の凝り固まりを感じた。もっとたくさんの人に出会って違う世界に触れ、自分の世界を広げていきたい、自分の中の絶対的なものを相対化したいと思うようになった。大学生活の中での様々な人との関わりを大切にしていきたいと強く感じた。