研修報告

人間学群教育学類2年 中村明日歌

1.  研修参加の動機について

私が今回の研修に参加したきっかけは、2023 年度に受講した『露語学概論』だ。同講義を通して私は、自分がロシアとその周辺諸国の情勢について全然知らないことに気づいた。実際にこの 1 年注視してみたところ、そもそも日本では中央アジアやロシア語圏について知る機会が非常に少なかった。思い返せば、学校でもほとんど学んだ覚えがない。3 億人近い話者がいるロシア語だが、私は「Спасибо(ありがとう)」すら自信がなかった。小学校教員を目指す私にとって、これは大きな衝撃であった。

そこで、私は「日本にとって歴史的にも文化的にも関わりのある中央アジアやロシアについても、児童に積極的に伝えられる教員になりたい」と思うようになった。そのためには、私自身の知識や経験が必要不可欠である。特にロシア語を学ぶことは、同地域の文化や歴史を理解する上で重要だろう。そこで、本研修に参加することにした。

なお、本研修は私にとって初めての「言葉が通じない環境」である。私はロシア語もカザフ語もほとんどわからなかった。そのため、「母語以外による教育を受ける児童の気持ちを疑似体験できるかもしれない」という期待もあった。更に、カザフスタンは、学校教育がカザフ語とロシア語をはじめとする各母語により行われることを目指している。今日の日本社会とその教育は、グローバル化が進み変革の最中にあると感じる。カザフスタンでの経験は、将来教員になった際に間違いなく生きてくるだろう。

 

2. カザフスタン共和国についての考察

特に印象に残った 2 つのことについて、私なりの分析をしてみた。

1 つ目に、教育に関することだ。街を練り歩き人々と関わるうちに、私はアルマトイの方が日本よりも子育てしやすそうだと気づいた。例えば、アルマトイ市街地を歩くと至る所に公園や遊具がある。暖かい日には、多くの子どもたちが自由にのびのびと遊んでいた。子供の遊び声がクレームの理由になりうる日本では、考え難い光景だった。また、ショッピングモールには子供が遊ぶための施設があり、中には 1 フロア全てが子ども・子育てのための店なこともあった。ホームステイ先でも、親戚の幼児 2 人が何度も遊びに来ていた。そし て、その場にいる誰もが彼らと積極的に関わっていた。「子どもたちが可愛くて仕方がない」という様子だった。これは日本でも見られそうな光景だが、何かが違う気がした。ある時現地学生に、「カザフスタンの人はみんな子どもが好きですか」と聞くと、彼女は澱みなく「はい」と答えた。他にも数人にあたってみたが、全員が同じ反応だった。彼らにとって子どもとはどのような存在なのだろうか。

カザフスタンでの子育てについて、もう一つ大事なヒントを得た。それは、子供の被教育権ならびに親の教育を受けさせる義務の範囲だ。日本では小学校から中学校にかけての9年間が義務教育である。とはいえ、高等学校等への進学率は非常に高い値を保っており、令和 2 年度は通信制を含めれば 98.8%にものぼる[1]。また高校新卒者に比べ、中学新卒者の就職内定率は有意に低い[2]。一方、大学・短大進学率は約 60%に留まっている[3]。以上より、今日の日本では高校までの被教育権が広く認められているということができよう。同時に、大学での被教育権は必ずしも社会通念として認められているとは言い難いと考える。

実はこの被教育権は、社会主義で認められはじめた権利である。旧社会主義国のカザフスタンでは、日本とは異なる考え方があるかもしれない。そう思って、ことある毎にカザフスタンの人々に意見を求めてみた。すると、「大学までいくことは全ての子供の権利である。そのため必要なお金は、奨学金あるいは親によって確保することが当たり前だ」といった意見ばかりだった。彼らのいう奨学金とは一般に、カザフスタン政府による奨学金、「ボラシャク」のことである。これは、カザフ語で「未来」を意味する言葉だ。この奨学金は、子どもに「未来」を見出し大事にするカザフスタンの文化を象徴していると感じた。カザフスタンの人々にとって、子どもとは「未来」そのものなのだと思う。

もう一つ印象に残ったこと、それは環境問題だ。中央アジアの環境問題といえば、多くの日本人はアラル海を思い浮かべるのではないだろうか。しかしながら、環境に懸念を示す現地学生も環境問題を主題とする講義も、アラル海について触れることはなかった。そこで環境問題を専門とする大学教員に意見を求めると、衝撃的な一言が返ってきた。 “We have given it up. ”アラル海の縮小は、現地の人々から既に諦められていたのだ。話を深掘りするとその気持ちがわかってくる。アラル海は、カザフスタンとウズベキスタンに跨る湖である。そこに流れ込む 2 本の川、アムダリア川とシルダリア川は、それぞれ複数の国を通ってアラル海にたどり着く。なるほど、アラル海の縮小は、カザフスタン・ウズベキスタンだけの問題ではないのだ。中央アジア全体での長期的な協働が、必要不可欠なのである。

確かにそれは、決して容易ではない。しかし、たとえどんなに困難だとしても、諦めるべきではないのではなかろうか。諦めてしまえば、可能性はゼロになるからだ。そして、大人が諦めた環境問題を、学校で子どもたちにどのように伝えられようか。「お先真っ暗な環境教育」まっしぐらだろう。

子どもに「未来」を見出し、大切にするカザフスタン。しかし、アラル海を諦めることは、「お先真っ暗な環境」をそのまま、「未来」たる子どもたちに放り投げる行為に他ならないと考える。今回の研修では残念ながら、カザフスタンの環境教育について学ぶことはできなかった。果たしてどのような環境教育が行われているのだろうか。

(参考文献)

[1] 文部科学省.『高等学校等への進学率[推移]』.
https://www.mext.go.jp/content/20211207-mxt_koukou02- 000019354_01.pdf (最終閲覧 2025.3.20)

[2] 厚生労働省.『令和 5 年度「高校・中がこう新卒者のハローワーク求人に係る求人・求職・就職内定状況」取りまとめ(令和 6 年3月末現在)』.令和 6 年8月7日https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/jak unen/2024CK_job_opening_to_applicants_ratio_202403.html .(最終閲覧 2025.3.20)

[3] 文部科学省.『大学入学者数等の推移』.
https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02- 000011142_9.pdf (最終閲覧 2025.3.20)

 

3. 語学研修に参加する前後での自己変化についての分析

私は、「言語が通じない環境」の体験を本研修の目的の一つにしていた。研修が始まる前、「なんだかんだ言ってなんとかなるだろう」と思っていた。そして、それは実際にそうであった。というのも、私は相当恵まれた環境に置かれたからだ。私は Google 翻訳の使用ができた上に英語も話せるので、本当に困り切ることはなかった。また、身振り手振りで相手に伝える方法も、これまでの人生で培ってきている。そもそもホームステイをはじめ、私はほとんどの時間をロシア語がわかる他の日本人学生と過ごした。

このように、私は「どうしても伝わらなくて困る」ということは全くないまま、研修を終えることができた。しかし、日本の学校では今後、そう上手くはいかない児童が増えるだろう。日本語指導が必要な児童は、年々増加しているのだ[1]。学校では Google 翻訳は使えず、母語も通じないことがほとんどだ。発達段階を鑑みると、言葉以外の方法でのコミュニケーション方略も難しいのでははなかろうか。日本語指導が必要な児童の周囲に、母語と日本語の両方を話せる人がいるとも限らない。このような状況下でのコミュニケーションは、本研修中の私とは比べ物にならないくらい、大変なものだろう。

残念ながら、「母語以外による教育を受ける児童の気持ちを疑似体験する」という当初の目的が達成されたとは、到底言い難い。しかし、この 1 ヶ月の私を遥かに上回る苦労を、彼らはしている。それを知ることができた。

また、私は思いがけずも授業についていけない児童の気持ちを体験することもできた。というのも、私はロシア語をほとんど勉強したことがなかったが、大学の都合上、最初の 1 週間はロシア語経験者と一緒に授業を受けたのだ。もちろん彼らとの差は歴然だった。キリル文字の音読もおぼつかない私は、授業について行くことが全くできなかった。家族を紹介したり質問をしあったり、長文を読んだり。必死に Google 翻訳に打ち込みながら、内容を少しでも理解しようと努めた。先生もそんな私を気にかけて、親身に指導してくれた。しかし、それでも私はついていけなかった。すると、私はだんだんと積極性を失っていった。

「『He знаю(わからない)』などと主張すれば、全体の進行に障る。私はわからなくてもいいから、迷惑をかけないよう、ひっそりといよう」そのような思いで過ごしていた。1 週間後、クラス分けが施された。私は初級コースに振り分けられた。私のレベルにぴったりなクラスだった。すると私は積極性を取り戻し、毎日の授業が楽しみになった。

授業についていけるか否か。ただそれだけで授業へ向かう姿勢が 180 度変わることを、私は思いがけず体験した。これは、授業に困った経験がこれまでほとんどなかった私にとって、大変貴重な経験だった。

これまでの私は、「授業についていけない児童こそ、積極的に学ぶ姿勢を持つべきだ」という考えを完全に捨て切ることはできなかった。これが理不尽であることを知りながら、努力神話から抜け出すことは非常に難しかった。しかし、今回の経験から「授業についていけない児童が積極的になることは不可能だ」と、はっきり理解した。この理解は、教員となった暁には大いに役立つことだろう。

[1]文部科学省.『外国人児童生徒等教育の現状と課題』.令和 4 年.https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/taikai/r04/pdf/9385530 1_06.pdf (最終閲覧 2025.3.20)