沖縄研修旅行で最初に訪れたのは、石垣市立八重山博物館です。そこでは、島の歴史と文化についてのレクチャーをうけました。博物館は本土復帰記念事業として旧石垣市役所跡地に建設され、1972年10月に正式に開館しました。館内には、5,000点を超える幅広いコレクションが展示されており、石垣と八重山諸島の郷土工芸を紹介する様々な分野が網羅しています。八重山諸島を代表する伝統的な船やカヌー、沖縄の祭りで使われるシーサーのお面、衣類や織物など、八重山地方の文化を学ぶ多くの展示品がありました。

また、この地域の歴史的展示品も数多くありました。例えば、伝統的な八重山建築の縮尺模型からは、この地域の特徴的な構造デザインについて知ることができ、他にも伝統的な葬儀に使われていたとされる棺桶や、巻物、昔の資料から、この地域の歴史を深く学ぶ事ができました。博物館は、八重山諸島の文化的・歴史的遺産を包括的に見ることができる、この研修旅行の出発にふさわしい場でした。

八重山諸島には、石垣島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島、新城島(パナリ島)、西表島、由布島、与那国島があります。日本列島の最南端に位置し、沖縄本島から約400キロ離れています。美しいビーチや緑豊かな植物、豊富なダイビングスポットなど、自然の美しさが高く評価され、この地域一帯は国立公園(西表石垣国立公園)に指定されています。

博物館の職員によるレクチャーは、島々の歴史から始まりました。人骨の発見から、約2万7000年前には人類がこの地で生活をしていたと言われていますが、残念ながら道具類の発見はできていないため、当時島に住んでいた人々の具体的な生活様式は現在も解明されていません。しかし研究者たちは、八重山の人々は沖縄とも日本とも異なる独自の文化を発展させ、より熱帯地方に適した生活スタイルを確立していったと考えています。例えば、沖縄本島ではアイヌ民族との共通点が見られましたが、八重山ではそのようなつながりは見られなかったといいます。また、八重山の人々は、沖縄本島や宮古諸島とは異なる独自の言語『八重山方言』を確立させました。興味深いのは、八重山方言はひとつの方言を指すのではなく、各島、さらには各村が独自の方言を持っていたことです。現在、それらの方言を話せる人が少なくなっているので、勉強会などを通じて後世に伝えようとする動きがあります。

下田原期

この島々で最初の民族が誕生し、人々が道具を使用したといわれるこの最も古い時期を『下田原期』と呼びます。島最古の焼き物は「下田原式土器」と呼ばれ、なだらかな形と丸底の焼き物は、宮古・八重山の焼き物の原型とも言われています。これらの土器は、赤土台地から発見されました。しかし下田原期はあまり長くは続かず、次の占領は約800年後に現れたと論じられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

無土器期

その後、数千年にわたる土器を持たない文化『無土器時代』が出現しました。彼らの文化は、鍋の代わりに石や貝殻が使われ、熱い石の上で蒸し料理をするなど独特の習慣がありました。またこの時期は農業技術の発達があり、人口の増加につながりました。しかし、この長きにわたった土着文化は、島に来島した日本人により衰退していきました。日本人は、島に鉄を持ち込み、調理につかう鉄鍋を導入ました。

 

 

 

 

 

 

 

人々の暮らし

500年前頃には中国や沖縄本土との交流があったことが、各地域で見つかった陶器からみてわかるといいます。歴史上、石垣島では一族が対立するなど、紛争が絶えなかったようですが、最終的に島は琉球本島の一部となりました。しかし、この地域が琉球以外とのつながりを失ったわけではないことが、海中で発見された鉢などの遺物により発見されました。特に中国との交易の可能性があったと示唆されています。

約300年前に琉球王国全体が日本の一部となった際は、来島した日本人により琉球国王全体に日本文化である寺院が建てられました。石垣島での最初の寺院は1609年建設されました。また変わったところでいうと、サツマイモもこの時期に八重山地方に来ていた薩摩人が日本本土に伝えたもののようです。全国的にはサツマイモは鹿児島のイメージが強いですが、実は八重山が起源と言われています。

豊かな民俗・音楽文化といえば、『古謡(こよう)』と呼ばれる伴奏のない声だけの民謡や、『笛唄(ふしうた)』と呼ばれる三線(さんしん)の伴奏による唄があります。三線は3本の弦を持つ独特の楽器で、蛇の皮で作られています。琉球王国の役人が八重山に持ち込んだ楽器で、通常は笛唄の伴奏として演奏します。三線の普及によって多くの節唄が生まれ、それらの詩と踊りは、儀式の一環として奉納されることが多く、祝いの席や大舞台で踊られることも多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

博物館には「旗頭(はたがしら)」と呼ばれるお祝いの旗もあり、村ごとに旗が立てられていました。これらは、通常8月中旬から下旬にかけてのお盆のお祝いに使われます。

旗頭(はたがしら)

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に見学したのは、漁業で知られる沖縄の「糸満」文化から出土した品々です。この村の漁師はオーストラリアにまで行くと信じられているほど古くから漁業が発展していました。約200年前に作られた水中メガネは、現代のメガネに酷似しており、糸満人の高い技術と知識を物語っています。