カザフスタン医療視察研修報告書

医学群看護学類4年 笠原葉子

本医療研修に参加した動機
私が本研修への参加を希望した理由は主に以下の2点であった。

1. カザフスタンの文化と地域保健への強い関心

研修参加前の1年間、筑波大学でカザフスタンからの留学生のチューターを務めた経験がカザフスタンという国を知る動機となった。チューター活動を通じて、カザフスタンの豊かな文化や生活様式に触れる機会を得たことで、中央アジアの文化への関心が高まった。特に、チューター活動中の会話から、広大な国土を持つカザフスタンにおける都市部と地方部の医療アクセスの格差や、精神疾患に対する地域公衆衛生活動の実態について強い興味を抱くようになった。この関心が、実際に現地で学び、見聞を広げたいという思いにつながった。

2. 国際的な視野をもった医療人材としての成長

将来、国際的な医療活動に携わりたいという目標にとって、本研修は貴重な機会であると考えた。大学卒業後、海外の大学院で社会福祉学を学ぶ予定であり、カザフスタンでの経験が、異文化における医療の理解を深め、国際的な視野を持った医療者への成長につながると考えたのである。特に、カザフスタンの医療システムから日本の医療や医療教育に活かせる要素を見出したいという視点を持って研修に臨んだ。

 

研修目標と成果
研修に際して設定した以下の3つの目標について、それぞれの成果を報告する。

1. 医療施設の見学や現地の医療従事者の方々との交流や対話を通じて、都市部と地方部の医療アクセスの差異や、遠隔地における医療提供、精神医療体制について学ぶ。

カザフスタンの複数の医療施設を見学し、現地の医療従事者との対話を通じて、都市部と地方部における医療アクセスの差異や遠隔医療の実践状況について学んだ。特に、広大な国土における地方部での医療提供の課題と、それを克服するための取り組みについて理解を深めることができた。現在においても、医療機器が豊富にある病院はアスタナやアルマトイに集積されているため、農村部や地方では治療が難しいという課題も存在する。遠隔医療については、現在進行中で社会実装が進められているとのことである。カザフスタンのスタートアップ企業の中には、遠隔医療を広めようとする動きもあるが、実際に、患者の容態変化や処方など課題も多く残されており、全国規模で日常的に遠隔医療が行われるにはまだ時間がかかるとの見解であった。

2. カザフスタンの医療政策や制度、歴史的背景などを学び、日本との比較を行うことで、両国の医療システムの共通点と相違点を明らかにする。

本医療研修では、カザフスタンの医療政策、保険制度、および歴史的発展過程について学び、日本の医療システムとの比較を行った。本目標の達成度について記す前に、歴史的背景、人口構成、高齢化率、文化的背景、医療に対する価値観などが日本とは大きく異なることから、日本とカザフスタンの保険制度の単純比較を行うことは困難を極める、あるいはナンセンスかもしれないということをこの研修期間中に強く感じた。これを前提にした上で、両国の医療システムについて考察を進める。

カザフスタンでは比較的新しい制度であるMandatory Social Health Insurance (MSHI) が2020年に導入され、ユニバーサルヘルスカバレッジの達成に向けた取り組みが進められている。MSHIの導入により、基本的な医療サービスへのアクセスが国民に広く保障されるようになった。また、多くの高額な医療介入が無料、または低価格で受けられることが同国の医療システムの強みであると現地の医療従事者から説明を受けた。

両国のシステムには、国民皆保険制度を基盤としている点で共通点が見られる。しかし、その運用方法や財源構造には大きな違いがある。日本の場合、雇用形態や年齢に応じて複数の公的保険制度が存在し、保険料と税金を組み合わせた財源で運営されているのに対し、カザフスタンではより中央集権的な単一システムを採用している。また、MSHIへの加入状況は都市部と地方部で大きな格差があり、特に非正規雇用者の中には制度から取り残されている層も存在することが明らかになった。さらに、カザフスタンでは医療費の自己負担割合が日本と比較して全体的に低く設定されている一方で、公的保険でカバーされる範囲外のサービスについては全額自己負担となるケースも多く、医療サービスの二極化が進んでいる実態も見受けられた。

この研修を通じて、医療システムは各国の歴史的・文化的背景や社会経済的状況を強く反映したものであり、「どちらが優れている」という単純な評価ではなく、それぞれの社会に適合したシステムの構築が重要であるという認識を深めることができた。また両国の医療保険制度についてカザフスタンの医学生と議論を深めることができたのも、大きな財産となった。

3. カザフスタンの医療教育現場を視察し、日本の医療教育との比較を行うことで、両国の教育システムの共通点と相違点を明らかにし、それぞれの課題と改善点を考察する。

複数のアルマトイ・アスタナの医科大学・医学部を視察し、カリキュラム構成や教育システムについて情報を収集した。本項では、日本の医学教育との比較を通じて得られた知見と考察について述べる。

カザフスタンの医学教育において特に興味深かった点は、デジタル技術を活用したシミュレーション教育である。視察したシミュレーションセンターでは、「Body Interaction」と呼ばれるシステムが導入されており、学生は架空の患者に対して問診、聴診、視診を包括的に実施し、症状から疾病を推測した上で適切な治療法や薬物投与を実践的に学ぶことが可能となっていた。このようなインタラクティブな学習環境は、臨床現場に出る前の実践的スキル習得において極めて効果的であり、学生の主体的な学びを促進する要素として機能していた。

カザフスタンの医学教育におけるもう一つの特徴は、一部の大学で実施されている英語による教育プログラムである。医科大学の視察では、英語での教育が行われていることもあり、インド、エジプト、パキスタンなど多様な国からの留学生が学んでいる国際的な環境に驚かされた。また留学生たちの学問に対する姿勢は非常に熱心で、日常の学習に加え、研究活動や国際学会にも積極的に参加していると語っていた。中でもエジプトからの留学生が語った「Discipline, Dedication, Determination」の3Dの信念である。彼はこの3つの要素があれば、どのような困難も乗り越え成功できると語っていた。その言葉と迫力からは、厳しい競争社会において、自身の将来を切り開こうとする強い上昇志向と決意が感じられた。このような留学生たちの姿勢を見て、国際的な視野と熱意がいかに重要であるかを示しているように感じた。今後、自身も海外の大学院に進学し、国際的なキャリアを築いていく目標を持っているため、彼らの姿勢から強い刺激を受け、自らの目標達成に向けらモチベーションが一層高まった。

またナザルバエフ大学では、米国の医学教育モデルを採用し、全ての授業が英語で行われていた。この教育形態には複数の利点が存在すると感じた。まず、医学における国際的な専門用語を英語で習得できる点、また最新の医学文献へのアクセスハードルが下がる点、さらに卒業後のグローバルな就労機会の拡大につながる点である。

一方で、英語による医学教育には検討すべき課題も存在するように感じた。それはナザルバエフ大学の教員が指摘していたように、グローバル標準の医学教育は卒業生の国外流出を促進する可能性があることである。実際に同大学では、少数ながら卒業後に米国等へ移住する医師が存在するとのことであった。これは国家の医療人材育成に投資したリソースの一部が失われることを意味し、医療政策や社会経済的にも複雑な課題であると考えられる。

英語による医学教育については、日本の現行の初等・中等教育における英語教育の到達度を考慮すると、無理に英語で専門知識を学ぶことで理解が表層的なものにとどまるリスクも考慮すべきだと思った。むしろ、基礎的な医学知識は母国語である日本語で十分に理解した上で、国際的な活動に必要な英語力を並行して養成するアプローチが現実的かつ効果的である可能性が高いと感じた。

一方、シミュレーション教育の充実については、日本においても早急に取り組むべき課題だと思う。特に高齢者が患者の大半を占める日本の医療で、高齢者は比較的既往や合併症が多く、ケースが複雑であることが多い。そのため患者安全の観点から、臨床現場に出る前の実践的トレーニングの重要性は今後さらに高まると予測される。カザフスタンで見られたようなシミュレーションシステムの導入は、限られた臨床実習機会を補完し、学生の臨床推論能力を効果的に向上させる可能性があると感じた。

 

総括

カザフスタンと日本の医学教育を比較することで、両国のシステムには固有の強みと課題が存在することが明らかとなった。カザフスタンの医学教育、特に、デジタル技術を活用した実践的な教育環境の構築と、グローバル人材育成と国内医療需要のバランスという課題は、今後の日本の医学教育においても参考にすべき重要な視点である。日本の医学教育においても近年シミュレーション教育の重要性が認識されつつあるが、カザフスタンで見られたような双方向性のあるデジタル機器の導入は未だ限定的である。特に架空の患者とのコミュニケーションスキルや臨床的意思決定プロセスを同時に学べる環境は、日本の医療教育にも積極的に取り入れるべき要素であると考えられる。

医療研修に参加する前と後で、自分の中の医療への価値観がどのように変化したか

本研修に参加する前、私の医療に対する価値観は主に日本の医療システムを基準としたものであった。日本の国民皆保険制度や医療アクセスの公平性を当然のものと捉え、他国の医療システムもこの枠組みで評価する傾向があった。また、医療の質や効率性を重視する一方で、文化的・社会的背景が医療に与える影響については十分に考慮していなかったように思う。

しかし、カザフスタンでの研修を通じて、この価値観に多少変化があった。まず、医療システムは単一の「正解」が存在するものではなく、各国の歴史的背景、文化、社会経済的状況に深く根ざしたものであることを強く認識するようになった。カザフスタンに導入されているMSHI制度は日本の国民皆保険制度とは異なる形で発展しているが、それぞれの社会に適合した形で医療アクセスの向上を目指している点では共通していると言えるのではないか。

また、都市部と地方の医療格差についての理解も深まった。日本においても地域医療の偏在は課題となっているが、国土が広大なカザフスタンでは、この問題がより顕著に表れているということがよく理解できた。遠隔医療の推進や地域枠制度のような医師の配置方法など、地理的要因による医療格差を解消するための取り組みが、国の実情に応じて独自の発展を遂げている点に気づいた。

さらに、医療教育に関する価値観も変化した。従来は知識や技術の習得を医療教育の中心と捉えていたが、カザフスタンの医学生たちとの交流を通じて、国際的な視野、高い英語力、自己研鑽への強い意欲が医療者として不可欠な要素であることを実感した。特に、多様な国籍の留学生たちが見せた学問への熱心さは、自身の医療者としての姿勢を見つめ直す契機となった。

総じて、本研修を通じて、医療を単なる技術的・制度的な側面からではなく、人間の営みとして、文化的・社会的文脈の中で捉える視点を獲得したことが最大の変化である。医療システムや医療教育に唯一の正解はなく、各社会の特性に応じた多様な教育スタイルの可能性を認識した。今後は、この変化した価値観を基盤に、各々の文化的背景を尊重した医療を実践し、国際的でかつ柔軟な視野を持ちながらも地域のニーズに応える看護師を目指していきたい。

 

その他カザフスタンにおける体験

カザフスタン滞在中、医療研修の合間に様々な文化的側面に触れる機会を得た。以下、その体験から得られた知見と印象を記す。

まず、アルマトイ上空からの夜景は圧巻だった。整然と区画された計画都市と広大な市街地が一面に広がっていた。また、機内から見た中央アジアの地形は、教科書で見た地形図がそのまま実在するかのような壮大な景観で、尾根と谷が無限に連なる光景は忘れがたい。アルマトイ到着時、東洋学部の学生が日本国旗を持って空港で出迎えてくれたのも、強く印象に残っている。東洋学部の学生たちは日本語、英語、ロシア語、カザフ語を操り、その語学力の高さには感銘を受けた。彼らとの交流を通じて、「カエルタス(おはよう)」「カエルトゥス(こんにちは)」「カエルキシュ(こんばんは)」といったカザフ語の基本的な挨拶も学ぶことができた。

また夕方のモールのフードコートは、ラマダン中ということもあり特に混雑していた。活気ある音楽が流れ、皆それぞれ思い思いの人と過ごし何だか独特の雰囲気に包まれていた。さらにタクシーから流れてきた音楽がC-POPに似た独特の曲調だったことも文化的な発見だった。ゆったりと流れるようなメロディは、中央アジアと東アジアの音楽文化の潜在的な共通点を感じて興味深かった。

医療文化の面では、オピオイドに対するスティグマが存在し、特に高齢者は末期がんなどの状況でも使用を避ける傾向があることが新たな発見だった。日本において、医療用麻薬に対しては依存性への懸念や「麻薬」という言葉そのものがもたらす心理的障壁から、その使用には様々な障壁が存在することは従来から認識していた。しかし、文化的・歴史的背景が大きく異なるカザフスタンにおいても同様の課題が存在していることは驚きであった。

また、カザフスタンの家族システムについても興味深い知見を得ることができた。「一番年齢が若い子供が親をケアする」という慣習があり、長男・長女は家を出て稼ぎに行くという日本とは対照的な家族構造が存在していた。このような文化的背景が、医療の受容や実践にも大きな影響を与えていることが理解できた。こうした文化的・社会的要因から、緩和ケアのような専門的医療サービスはまだ発展途上にあるという状況も明らかになった。医療技術や知識の普及だけでなく、それらを受け入れる社会的土壌やニーズの醸成もまた、医療サービスの発展には不可欠な要素であることを実感した経験であった。

 

番外編:予期せぬ風邪との格闘

本研修の個人的な側面として特筆すべきは、研修期間のほとんどを通じて風邪に悩まされ続けたことである。皮肉にも、この体調不良がカザフスタンの医療を身をもって体験する機会となり、予定外ながら貴重な学びとなった。

現地のドラッグストアでは、日本では見慣れない強力なミントスプレーや苦みの強いトローチ状ののど飴を購入した。日本の製品と比較して風味が強烈であったが、効果は非常に優れており、症状の緩和に大いに役立った。しかし、極寒の地アスタナに降り立ち、症状がさらに進行した際には、去痰薬やアセトアミノフェンも追加購入することとなった。

この薬局での体験は、言語の壁を痛感する出来事でもあった。幸いにも英語が堪能で日本語も少し理解できる店員に出会い一時は安堵したものの、症状の説明におけるコミュニケーションが上手くいかず、インフルエンザ治療薬であるタミフルを渡されることもあった。最終的には、カザフ語に精通した二ノ宮先生、医師である小林先生、そして同行者の吉田くんという強力な助っ人たちの支援を得て、適切な薬の購入にこぎつけることができた。反省すべき点として、海外での自身の体調に過度の自信を持ち、風邪薬やのどスプレーなど基本的な医薬品を一切持参しなかったことが挙げられる。この準備不足が原因で、現地での生活に支障をきたし、多くのメンバーから薬やマスクを分けていただくことで何とか研修期間を乗り切った。

この経験を通じて、「体調不良時、自分の症状を現地の言葉で伝えられる能力」が、異国での生活において不可欠な要素の1つであることを痛感した。同時に、「人間一人では生きていけない」という当たり前でありながら忘れかけていた事実を実感する機会ともなった。周囲の皆さんへの感謝は言葉では表しきれないほどである。

この経験から、海外渡航時における健康管理の重要性と十分な日本製の医薬品の準備の必要性を身に染みて痛感した。特に気候や環境が大きく異なる地域への渡航においては、たとえ自身の体調に自信があっても、予防的な医薬品の携行が不可欠であるということを学んだ。のどの痛みを侮ることなかれ!!これは本医療研修で得た知見とは別次元の、しかし同様に重要な教訓である。