カザフスタン医療視察研修報告書
医学群医学類3年 坂本智佳子
1. はじめに
本レポートでは、研修について、この研修参加の動機、カザフスタンの医科大学・医療機関で学んだこと、カザフスタンでの文化体験、研修の前後で成長したことにわけて述べる。
2. カザフスタン研修に参加したきっかけ
私がカザフスタンへの海外医療視察研修に参加を希望した理由は四つあった。第一に、カザフスタンの医療制度を学び、公衆衛生への理解を深めることだ。カザフスタンでは無料診療制度があるものの、診察待ち時間の長さや処方薬の高額さなどの課題があり、2020年に導入された国民皆医療保険の影響も大きい。私は現地で公衆衛生学部の授業見学や保健省、診療所での視察を通じて、医療制度の実態を学びたいと思った。
第二に、異なる宗教的・歴史的背景を持つ患者への理解を深めることだ。カザフスタンの人口の約7割はイスラム教徒であり、宗教上の理由で治療を拒否するケースもある。日本でも今後、外国人患者への対応がより求められると考えられるため、本研修を通じてイスラム文化や医療との関係を学び、今後の診療に生かしたいと考えた。
第三に、遠隔医療や医療現場の実態を学び、将来の日本の診療や医療制度に役立てることだ。カザフスタンでは列車を利用した遠隔医療や、日本との医療協力が進められている。また、医師と看護師の役割分担が日本とは異なり、看護師が治療を担当する場面も多い。私はこの研修で、日本の医療と異なる点を学び、将来のキャリアに生かすことができると考えた。
第四に、医学英語の運用能力を高めることだ。私は医学英語の習得に努めているが、実践的な使用機会は限られている。本研修では英語での講義や発表の機会があり、医学英語の運用能力やコミュニケーションスキルを向上させる絶好の機会だと考えた。加えて、ロシア語やカザフ語の学習にも挑戦し、新たな可能性を広げたいと考えた。
3. カザフスタンでの医療視察
本章では、医科大学や医療機関の視察で学んだことを施設ごとに述べ、最後にカザフスタンの医療状況について総括する。
3.1. アスフェンディヤーロフ医科大学
研修2日目と3日目に訪れ、大学医学部棟、解剖学研究室、組織学研究室、シミュレーションセンター、附属病院を見学した。医学部棟は2つの棟からなり、基礎医学の棟と臨床医学の棟があった。私たちは基礎医学の棟を見学した。解剖学研究室には、骨標本があり、細かく分解されたものから、頭部を矢状面や冠状面など様々な面で切断したものなど、筑波大学にはない骨標本が多くあった。また、奇形児や死産となった児の液浸標本もあり、日本では見られない貴重な標本を見ることができた。特に印象に残っているのは、人体を人工的に再現したAnatomy modelである。骨格、筋肉、軟骨組織が頭からつま先までフルサイズで再現されており、神経系や血管も再現されていた。筑波大での解剖学実習では、献体を使用しているため、保存状態を維持するために短期間で実習を終わらせる必要がある。また、一度解剖実習を終えると人体解剖は次の年まで実施できない。しかし、このAnatomy modelを使えば、年中人体構造を3次元的に学ぶことができる。学生の解剖学実習や、手術技術の向上、解剖学研究の発展には献体の存在が必要不可欠であるが、倫理的な問題や、献体不足が問題になることもある。献体に頼らない実習を実現できるこの技術は画期的であり、取り入れたいと思った。また、シミュレーションセンターでは、出産のモデルを始め、救急車の模型模擬診察を大きな画面上で練習できるシミュレーション機器が備えられていた。シミュレーターを使った教育は筑波大学でも行われているが、救急車などより実践的なシミュレーターは使われていない。救急の授業でも災害現場を模して実習が行われたが、シミュレーターを使えば、より現実身を感じながら実習を行いことができると感じた。
2日目には、プレゼンテーションとディスカッションが行われた。カザフスタンはもちろん、インド、パキスタン、エジプト、シリアからの留学生が多く参加し、各国の意見や現状を聞くことができた。
附属病院は、循環器を専門に扱う病院だった。年に4000件のカテーテル治療が行われており、2年間で2回の移植手術も行われているという。しかし、外科医の不足や医師の労働環境の問題は日本と同じく問題視されており、改善が必要なようだ。
3.2. アルファラビカザフ国立大学公衆衛生学部
研修4日目には、公衆衛生学部を訪れ、学生との交流や学内の見学を行った。髪飾りのプレゼントをいただくなど、温かいもてなしを受けた。筑波大学には公衆衛生学を専門とする学類がないため、 “General Medicine” (一般医学)とは別に公衆衛生学部が設立されていることは新鮮に感じられた。
また、医学部とヘルスケア学部が設立されたのは2015年であるとの説明があり、ソ連からの独立を経て、カザフスタン独自の医学・公衆衛生の発展が本格化したのは比較的最近のことだと実感した。現在も、現役の医師の多くはソ連時代の教育を受けた人々であり、ソ連崩壊後も教育の質を維持するためには、国を挙げた努力が必要であると感じた。
発表後のディスカッションでは、感染症治療の費用(日本では無料なのか)、スクリーニングや健康診断の制度、高齢化への対応などが議題に挙がった。視察後には在学生が図書館を案内してくれ、アル=ファラビの歴史にも触れることができた。
3.3. ナザルバエフ大学
アスタナに移動し、研修7日目に訪れた。カザフスタン初代大統領ナザルバエフの名がつけられている大学で、他の大学に比べ施設も新しく、充実していた。シミュレーション室や、解剖室の見学をした。ナザルバエフ大学の4年生がカザフスタンの医学教育について、カザフスタンの医療の現状について発表してくださった。カザフスタンの医学教育は、学部5年+インターシップ1年+研修医2-4年から構成されている。インターンシップがどの程度の物なのかを聞くことが出来なかったが、日本での臨床実習であるとすれば一度卒業という区切りをつけてから病院に入る制度は日本と大きく違うと思った。解剖室では、Anatomageという、3Dで視覚化された人体を画面上で見ることができる機械や、プラスティネーションされた献体が導入されていた。これらを利用することで、倫理的な問題や管理の問題を解決しているのだそう。また、ナザルバエフ大学にも、多くのシミュレーターがあり、日本から輸入されているものも多く見られた。シミュレーターを利用した授業もあるそうで、5-6人のグループごとに、シミュレーターに対して処置を施して評価されるテストに使われている。
3.4. アスタナ医科大学付属小児リハビリテーションセンター
研修8日目に訪れ、院内施設の見学をした。カザフスタンで一番大きなリハビリテーション施設で、神経精神疾患を始め、自閉症やダウン症に対する治療も行われている。施設には、プールや体育館、モンテッソーリ教育室、美術室、ロボットリハビリテーション室、音楽療法室、矯正器具の製作所、小さなトラック、植物温室があり様々な疾患に対応したリハビリや療育が可能になっていた。日本ではここまで大きな施設はなく、一つの施設でこれだけ多種多様な設備が揃っている小児専門施設は少ない。合計特殊出生率が3を超えるカザフスタンだからこそ、これだけ子供の医療に注力されているのだと感じた。また、リハビリも子供が楽しめるような工夫がたくさん施されていた。
3.5. カザフ皮膚科・感染症科学センター
研修10日目に訪れた。ここは、カザフスタンの感染症対策について、情報収集や研究が行われている場所で、コロナ禍での政策について聞いた。カザフスタン政府は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染状況に応じて、国を6つの地域に分け、それぞれのリスクレベルに基づいた対策を講じた。これらの地域は、感染拡大の程度に応じて各ゾーンに適した制限措置が実施したそうだ。カザフスタンの中には、17つの医療施設や大学が情報を共有して、国民が経験したことのない感染症流行であったため、テレビでも朝夕の2回情報を流した。
カザフスタンでも、多くの医療施設と研究施設、政府は多くのデジタルデータベースを作り共有している。そして、コロナウイルスの感染状況や患者の情報の調査は現在も続けているという。日本では、全国で一律に緊急事態宣言などをはじめとする対策が行われていたので、国土の広いかカザフスタンならではの感染症対策だと感じた。
3.6. アスフェンディヤーロフ医科大学付属看護学校
研修10日目に訪れた。アスフェンディヤーロフ医科大学付属の看護学校である。メンタルヘルス、保健師、国民皆保険、医師の偏在についての発表と討論が行われた。カザフスタンでは自殺率の高さが深刻な問題となっており、特に若者のアルコールやドラッグの乱用がメンタルヘルスの悪化を招き、自殺リスクを高める要因となっている。そのため、学校には医師ではなくメンタルヘルス専門のカウンセラーが配置され、自殺予防に取り組んでいる。また、医学的な対策だけでなく、教育やスポーツを通じたメンタルヘルス維持の取り組みも進められている。しかし、アルコールや薬物依存の根本的な解決や、社会全体でのメンタルヘルスへの理解の向上など、依然として課題は多い。今後は、これらの施策をより効果的にするための支援体制の整備が求められている。
また、カザフスタンでは、医師や看護師の育成に関する制度が日本とは異なる特徴を持つ。まず、看護師になるためには大学に進学する必要がある。一方医師は、医学部を卒業し医師の資格を得たとしても、地方では社会的支援が不足しているため、医師として専門的な職務に就かない者もいる。これは、都市部と地方の医療格差を示す一例であり、医療従事者の定着率を向上させるための制度改革が求められる。
3.7. カザフスタンの医療の状況
各大学の視察や学生とのディスカッションからわかったカザフスタンの医療状況について日本の医療の状況と比較し、述べる。
カザフスタンと日本の医療制度は、それぞれ異なる歴史的背景と政策のもとで発展してきた。カザフスタンの医療はソビエト時代に中央集権的な無料制度を採用していたが、1991年の独立後、財政難によって民営化が進んだ。現在は強制社会健康保険(MSHI)を導入し、公的医療と民間医療の二部門から成り立っている。一方、日本は国民皆保険制度を採用し、全ての国民が公的医療保険に加入することで、質の高い医療を低コストで受けることが可能である。
カザフスタンの医療制度の強みは、政府が進めるデジタル化や遠隔医療の導入が挙げられる。視察中も、多くのデジタル媒体によって医学教育がなされていることを実感した。また、広大な国土を持つカザフスタンでは、遠隔医療が医療格差の是正に貢献している。ディスカッションの中でも、都心部と遠隔地の医師の不均衡を是正するため、MicrosoftやZOOM、WhatsAppを使った診療が行われていると聞いた。私たち日本の遠隔医療の課題は、高齢者が機械を助けなしに操作できない問題があるが、カザフスタン側からは子供の診察に遠隔医療はつかえると思うかと、小児医療に対する質問が上がり、そこでも国のおかれている状況の違いを感じた。また、カザフスタンは医療ツーリズムにも力を入れており、心臓病学や腫瘍学の分野で国際的な評価を高めていることが強みである。しかし、医科大学も国に7つ、そのうち4つはアルマトイとアスタナに集中しており、都市部と地方の差が大きい。日本の医療制度は、高度な医療技術と全国的に均一な医療サービスの提供が強みである。日本では、ほとんどの都道府県に医学部あり、地方であっても一定の医療水準が保たれており、医療インフラの整備が進んでいる。
今後、カザフスタンは医療教育の強化や医療従事者の待遇改善を進めることで、医療の質を向上させる必要がある。また、日本も医療の効率化や遠隔医療の活用を進めることで、持続可能な医療制度の確立を目指すべきである。日本は高齢化社会であり、緩和ケアなど高齢者に対する医療、サービスが進んでいる。それをカザフスタンに広めることで今は未発達な分野を高めていくことができる。
両国の医療制度にはそれぞれ長所と課題があり、互いの成功事例を参考にしながら改革を進めていくことが求められる。
4. カザフスタンでの文化体験
今回の研修では、アルファラビカザフ国立大学の東洋学部の学生や公衆衛生学部の学生が常にサポートしてくださり、歴史や文化を教えてくれた。
4.1. 歴史
アルファラビカザフ国立大学図書館内にカザフスタンの歴史についての展示があった。そこでは、モンゴル族やトゥルク系民族の起源神話の展示があり、そこでは狼が畏怖の対象となっていた。遊牧民にとって、草原に現れる狼は恐怖であり、逆らえないものであったのであろう。日本では、キツネや竜が神社や寺院によく描かれているが、国の歴史によって違いが見られた。また、遊牧民にとって馬はとても大切な存在で、多くの馬用の飾りが展示されていた。馬は家族同然の存在であり、大切にされていたのだと感じた。カザフスタンの伝統品に見られる模様をオユーといい、羊の角を模した模様である。そこからも、遊牧民であったことを自分たちのアイデンティティとしていることを強く感じた。
現代の歴史では、カザフスタンの農業について話を聞いた。カザフスタンでは。北の地域では小麦、南の地域では綿花など、土地ごとに生産される農作物がわかれている。しかし、それは、土壌や気候で育ちやすいものを育てているのではなく、ソ連時代に土地ごとに育てる作物を担当分けした名残が今も残っているそうだ。日本では、気候や土壌などによって地域の特産物は決まっているのに対し、非常に歴史的な違いを感じる話だった。図書館には、ソ連時代の作家や政治家など多くの知識人の紹介があったが、すべてスターリンによって粛清されたと知り、一般市民が学ぶこと、知識をつけて意見を言う事が許されなかった時代もあったのだと衝撃を受けた。独裁政治の怖さを垣間見た瞬間だった。
4.2. 食事
この研修中多くのカザフスタン料理、ロシア料理、ウズベク料理を食べた、どれも肉が中心の料理で、味付けもシンプルなものが多かった。魚は、サーモン、サバ、ニシン以外は見られなかった。日本では、数えきれないほどの魚がスーパーにならび、普段の食事でもたべられているが、それは島国だからなのだと改めて感じた。
ラクダのミルクや馬のミルクなどの、カザフスタンならではの食文化を体験した。また、ラマダン中であったため昼間は飲食店がとても空いていて、日が沈むと平日であっても座るところがないほど込み合っていた。カザフスタンに強制移住させられた朝鮮人たちの文化も多く残っており、キムチや昆布、シイタケなど韓国料理風な食事が売られていた。朝鮮との交流がここまで強いことは意外であった。
4.3. 交通
街中では多くの車があり、歩いている人はほとんど見られなった。タクシーが日本と比べて安く、学生であっても交通手段としてタクシーを選ぶことも多いそうだ。道が広く、道路にはバイク専用レーンが、自転車は歩道に自転車専用レーンがあった。日本でいうLOOPのようなスクーターが町のあちこちにあり、好きな場所で乗り捨てられるらしい。国土が広いからなのか、建物が大きく、間隔も広かった。そのため、移動手段はほとんどが車であり、街中はガソリンの匂いが充満していた。アルマトイにはつくばと同じように、左折専用レーンが車道にあり、親近感を覚えた。アルマトイには8つのメインストリートがあり、朝と夕方以降は毎日渋滞が発生している。アルマトイには地下鉄はあるが10kmしかなく、日本と比べて公共の交通網は発達していない。また、アスタナには地下鉄はなく、大きな川を渡す橋も少ない。それが、渋滞の原因である。
4.4. 自然
アルマトイには、標高3000Mを超える山が町のすぐそばにあり、スキーで有名な観光地であった。ロープウェイで山頂まで行くことができた。山の上は空気がきれいで住宅も高級住宅街が多くあった。アルマトイでは、大気汚染が問題になっており、空気がきれいな山の上程、家賃は高くなる。都市部の方が家賃が吊り上がる日本とは正反対であった。
5. 研修前後で変化したこと
研修前と後では、カザフスタンに対するイメージが大きく変わった。研修前のカザフスタンの印象は、「広大な自然」「広い国土」「遊牧民」といったものであり、都市部がどのように発展しているのか全く想像がつかなかった。また、医療についても、ソ連時代の影響を受けた教育体制や、市民への医療の普及度、設備の新旧について具体的なイメージを持たないまま研修を迎えた。実際に訪れたカザフスタンの都市部(アルマトイ、アスタナ)は、想像以上に発展しており、多くの商業施設、企業、学校、幼稚園、公園があった。しかし、建物をよく見ると、ソ連時代に建てられたものと現代の建築が混在しており、独立前と独立後の歴史が入り混じっているように感じた。また、言語についても、カザフ語が主に話されていると考えていたが、実際にはロシア語とカザフ語の両方が話されており、日本では体験できない独特の状況だった。現地の人によると、カザフ語は本来この土地の言語だが、現在の現役世代やその親世代はソ連時代にロシア語で教育を受けており、ロシア語しか話せない人が多いため、カザフ語を学ぶ必要があるという。言語の使用状況にも歴史が大きく関わっており、単一民族で日本語のみを使用する日本とは全く異なる文化に驚いた。医療現場では、カザフスタンをはじめとするロシア近隣諸国でロシア語が広く使用されているため、医療ツーリズムが行いやすく、言語の壁がほとんどないことに驚かされた。また、研修前はカザフスタン独自の医学教育や医療設備が整えられていると考えていたが、実際にはアメリカや日本からシミュレーション機器や医療機器を積極的に輸入し、医療水準を向上させていることが分かった。カザフスタンと日本の医療を比較すると、先進度においては日本が優れている部分もあるが、小児・新生児医療に対する取り組みが日本以上に進んでいるなど、それぞれの国に強みがあることを実感した。今後は、日本からカザフスタンへ一方的に支援するのではなく、日本にも取り入れられるものがないかを考え、共に発展できる分野を模索することが、国際的な医療協力において重要だと強く感じた。
6. さいごに
この研修を実行するにあたり、小林先生、市川先生、宗野先生、山本先生、二ノ宮先生をはじめ、カザフスタンで迎えてくれた東洋学部の学生たち、私たちを受け入れてくださった大学、病院の方々すべてにお礼申し上げます。